曹洞宗 萬勝山
永福寺
〇お知らせ〇
令和8年の施食会(施餓鬼)法要は5月9日土曜日、14時を予定しております。
※お塔婆は8月のお盆の時期、永福寺にお墓のある方はこちらで建てさせていただきます。永福寺以外に墓地のある方はお盆の間に取りに来て頂くようお願いいたします。
埼玉県 東松山市 市ノ川212
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【歴史】
東松山市、市ノ川にある曹洞宗の永福寺は、萬勝山(萬松山とも)と号す。
永福寺は、鎌倉期に建てられた地蔵堂が起源とされ、後に大洞存奝大和尚(永正16年1519年寂)が開山となり永正5年(1508)に創建、(小田原)北条氏直が中興開基、小田原北条家より天文22年(1553)には寺領保護に関する制札を受領しています。
小田原北条家滅亡後、代わって入国した徳川家康より、天正19年(1591)には寺領20石の御朱印状を受領、近郷に末寺を擁していた寺院です 。
永福寺正門前の制札
(木製の実物はお寺の中にございます)
【制札】
約500年前より現存する永福寺の制札
制札とは、ある行為を禁止するなどきまりごとを広く一般に知らせるため、当時の権力者が木札に書いて、寺社の門前や村落の入口などに掲げたものです。
永福寺の制札は、北条氏が寺を保護するために、天文22(1553)年4月1日掲げたものです。
「新編武蔵風土記稿」による永福寺の縁起
(市ノ川村)
永福寺
萬松山と號す、禅宗曹洞派、伊豆國加茂郡宮上村最勝寺の末、寺領二十石の御朱印は、天正十九年賜はれり、當寺は永正五年の草創にして、開山大洞存奝永正十六年十月十七日示寂せり、開基は北條左京大夫氏直なりと云へど、これは中興の開基なるべし、然らざれば年代符合せず、本尊地蔵を安ず、天文廿二年小田原北條家より、當寺へ與へし制札を蔵せり、則ち左に載す、
一寺内門前一切不入之事、幷竹木截取事、
一殺生之事、
一寺領致作土貢等令難澁者有之者可承事、
以上
右三ヶ條於違犯之輩者、速可處罪科者也、仍如件、
北條家虎朱印あり
天文廿ニ年癸丑卯月朔日 遠山左衛門奉之
武州市川永福寺(新編武蔵風土記稿より)
【河童の伝説】
『河童の詫び証文』
その昔、市ノ川で馬を水の中に引きずり込んだり悪さを繰り返している河童がいた。
被害にあっていて我慢の限界に達した村人達はとうとう河童を捕まえる。
河童が殺されそうになっていたところ、通りがかった永福寺の住職がどんな理由があろうとも殺生はよくないと村人たちを説得して命を助け、もう悪さをしないという証文を書かせた。
河童は反省し、命を助けてくれたお礼に決して枯れることのない井戸を掘ったという。
戦前まで河童の書いた証文が残っていたとされ、お寺の玄関正面に流れる水は河童の掘ったといわれる井戸から流れる水である。
詳しい物語、詫び証文の内容は『東松山市 伝説と夜話(上)』田村宗順著 武蔵野出版に記載されている。